ホーム > 特集・コラム > 学校では本当にいい出会いに恵まれ、人とのつながりの大切さを学びました。
カナミネケイタロウ(Bass)インタビュー
●ベースを始めたきっかけは?
僕が育った石垣島はライブハウスもないような田舎で、そこの盆踊り大会で地元のおじちゃんたちがザ・ベンチャーズのコピーバンドをやっていたんですね。そのバンドの演奏を見て、友人とバンドを組もうという話になって。8 歳から三線をやっていたので、弦の本数が近いベースなら弾けるかなと思ったのがベースを始めたきっかけです。当時はベンチャーズの曲を、友人と毎日夜中まで練習していました。
●本格的に音楽をやろうと思ったきっかけは?
高校に入学してすぐ、先輩が組んでいたバンドを手伝うことになったんです。その頃、沖縄本島でコザ音楽祭というイベントがあって、そのバンドで出場したら見事金賞をいただいた。それが音楽の道を志すきっかけになったのかもしれません。僕は特定のバンドに入るよりも、常にいろいろな人と演奏したい気持ちが強かったので、サポートばかりやっていましたね。
●高校卒業後に進学した東京ビジュアルアーツでの生活はいかがでしたか?
譜面の読み書きができない状態で入ったので、そこは苦労しましたね。東京ってバンドのスコアがすぐに買えるじゃないですか。でも石垣島にはそんなものがなくて、ずっと耳コピで弾くというやり方で来たんですよね。なので、まずそこで打ちのめされました。でもライブをやるのがすごく好きだったので、アンサンブルの授業は楽しかったですね。授業も学内ライブもこなしながら、都内のライブハウスでいろいろなバンドのサポートとしてライブ活動もしていました。このときに広がった人脈は今に生きていて、学校だけでなく、学生時代に学校外のライブシーンを経験できたのは良かったなぁと思います。また、先生と一緒に演奏できたことに対しての感謝も大きいです。授業以外でも、ご飯に連れて行ってもらったり楽器屋について来てもらったり。そこで聞いた話が今の音楽活動の肥やしになっています。学校には音楽以外の学科もあったので、写真学科の人たちと仲良くなってライブの写真を撮りに来てもらったり、彼らの展示を見に行くこともありました。他の学科とのつながりができたのも、今の自分にとってプラスになっていますね。
●プロを目指して突き進んでいたんですね。
そうですね。ただ、本当に音楽を仕事にするのか、やりたいことが自分のやるべきことなのかを迷った時期があって。それを先生に相談したら、“馬鹿野郎!やりたいことがやるべきことなんだよ”と言われ、ハッとしました。そこで頑張ろうと思わなかったら、もしかしたら地元に帰って音楽をやめていたかもしれません。学校では本当にいい出会いに恵まれ、人とのつながりが大切だということを学びました。
●卒業後はどのような活動をしていましたか?
卒業と同時に、同じ石垣島出身のメンバーとストライクカンパニーというバンドを結成しました。バンドにメンバーとして加入したのはそのときが初めてで、純粋にバンドっていいなと思いましたね。ただ、もっといろいろな人と演奏したいという気持ちが膨らんできて、昨年脱退しました。バンド時代に出会った人たちとは今も別の形でお仕事をさせてもらっているので、それはバンドをやっていなかったら生まれなかった縁だなと感じます。
●現在は宮沢和史さんやBEGIN、夏川りみさんのサポートとして活躍していますが、プロの方たちと交わるようになったきっかけは?
ストライクカンパニーをやっていた頃、THE BOOM の関係者がライブを見て気に入ってくださって、そこから何度か宮沢和史さんと一緒にやらせていただいています。BEGIN のメンバーとは、石垣島出身のミュージシャンの新年会で知り合い、アルバムやツアーに参加させてもらうようになりました。今でも三線を弾いていますが、三線がきっかけでベースの仕事につながっていくこともあります。それは自分のアピールポイントとして、いいバランスでやっていきたいですね。
●最後に、今後の夢や目標を教えてください。
最近、ミュージシャンとしての自分らしさについて模索しているので、早く自分にしか出せない音を出せるようになりたいですね。練習はもちろんですが、人格から出る音ってあると思うので、総合的に自分らしさを出してきたいなと思っています。また、今は沖縄のアーティストを中心にサポートしているので、沖縄にとらわれずもっと広いところで演奏していければと思います。
© 2009-2019 Rittor Music, Inc., an Impress Group company. All rights reserved.