ホーム > 特集・コラム > 音楽学校ではたくさんの友人や先輩、師匠と出会えた。それがすべてといってもいいくらい。
黒田晃年 インタビュー
■音楽学校へ行こうと思った理由は?
□小学5年生の頃に家にあったクラシック・ギターを弾くようになって、6年生からエレキ・ギターを始めました。もうその頃には漠然とですが、スタジオ・ミュージシャンになりたいと思っていました。中学の卒業文集に “プロのギタリストになる ”って書きましたから。バンドは見ている分には好きだったんですが、子供心に人間関係が大変そうだなあと(笑)。自分の技術で勝負したいという気持ちが強かったんです。それで、高校生のときに、先輩が音楽学校へ行くと聞いて、じゃあ自分もそうしようと。最大の理由は専門的にいろいろなジャンルのギターを習いたかったからなんですけど、札幌出身なので、上京する1つのきっかけというのもありました。
■東京スクールオブミュージック専門学校での学生生活はいかがでしたか?
□とにかく聴く音楽の幅がすごく広がりましたね。授業では毎週知らない曲が課題曲として出されましたから。実践的なことでは基礎練習が印象的です。これは今でもすごく役に立っています。フィンガー・トレーニングという練習を毎日続けて、それを先生が指摘してくれる。それを繰り返すうちに、運指も綺麗になりましたし、各指の神経の分離がほぼこの時期に確立しました。ギターは弦を押さえるタイミングと、音を鳴らすタイミングが合って初めて良い音が出ますが、最初は先生に何度も “両手のタイミングがシンクロしていない ”“リズムがずれている ”と言われ、自分の演奏を録音しては聴いてみるということを繰り返してやっていたんです。そうしたらだんだん耳が鍛えられてきた。そして何より、たくさんの友人や先輩、師匠と出会えたのが大きいです。それがすべてといってもいいくらい。
■プロとしての足がかりもできましたか?
□プロとして活躍している先輩や講師の方がいらっしゃいますからね。入学すればそういう方と必ず接点が生まれますよ。僕も在学中にベーシストの先輩から仕事をいただいたんです。それがプロとしてのキャリアのスタートですね。でも、最初の頃は音楽だけでは食えないので毎日バイト。26歳のときに佐藤竹善さんのアルバムに参加する機会をいただき、気に入ってもらえてツアーにも参加させていただきました。これが僕の 1st全国ツアーです。ここから大きく人生が動いて行きました。音楽学校ではたくさんのトラをやらせて頂いた師匠、福原宜将さんとの出会いもありましたし、本当に行って良かったと思っています。
■学校へ行ったことで目標に近づくことができたわけですね。
□確かにスタジオ・ミュージシャンになりたいという夢は叶いました。しかし、プロとして活動する中で変化が訪れました。自分で音楽を発信していかなくてはと思い始めたのです。それでいろんな方の力をかりて、4年前にソロ・アルバム『 inside out』を作りました。実はそれまでは作曲が苦手だったんですが、曲を作ることはミュージシャンにとって大切なことだと気がついて、本当にフレーズ1つ1つから作っていきました。今の学校では DTMの授業があるんですよね?本当にうらやましいです(笑)。そっち方面がまったくダメでしたから、それはそれは大変でした。アルバムを作ったことで、以前よりも物事をクリエティヴに捉えられるようになりました。周囲も単なる仕事請負人ではなく、音楽を発信することもできる人だというふうに見てくれるようになりましたし。結果、仕事の幅も広がりましたね。その流れでソロ・ライヴもやるようになりました。今では自分のライヴをやっていなかったらどうなっていたかな、なんて思うほどです。今年は東京以外でもどんどんやっていきたいですね。
■スタジオで活躍するプロに必要なことは?
□圧倒的な技術と読譜力ですかね。いわゆる劇伴のレコーディングだと、スタジオに入るとその日にやる曲の譜面を束で渡されて、すぐにレコーディングに入ります。また、コードしか書かれていないマスター・リズム譜を渡されることもあって、そういうときは現状の音に対してどれだけカッコいい演奏ができるかという、読譜とは真逆のことを求められる。さらにライヴでは譜面を読んだ上で覚える作業が加わります。つまりミュージシャンには譜面通りに弾く力、譜面を見た上で想像力を働かせて置き換えて弾く力、そして覚える力。この3つの能力が必要なんです。そして、最後に機材力。お金はかかりますが、先行投資です。プロはプロと言われるだけの機材を必ず持っています。自分で努力して選んだ機材そのものが自分のアピールに繋がりますから。
撮影/八島 崇
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