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GALNERYUS/TAKA(Bass)インタビュー
●アメリカの大学を卒業後、日本の音楽学校に進んだそうですね。なぜそこから音楽の道へ?
聖飢魔Ⅱでロックに目覚めて中学でベースを始めましたが、高校でアメリカに語学留学をしてからはなかなか練習時間が取れず、その時点で半ば音楽を諦めざるを得なかったんです。でも、親の手前就職しなきゃいけないだろうと思って行った企業説明会の昼休みに、立ち寄った楽器屋でずっと探していたベースを見つけたんですよ。このタイミングで出会うということはこっちに行けということだと都合良く解釈して(笑)、親を説得して帰国しました。ベースは好きでずっと弾き続けていましたが、コピーバンドしかやってこなかったので、プロになれないのは薄々分かっていたんですけどね。
●帰国後は大阪のMI JAPANに進みますが、そこでの生活はいかがでしたか?
自分がこんなに下手だったのかということを目の当たりにしました。独学にしろ自分は弾けている、贔屓目に見ても中の下だろうと思っていましたが(笑)、どの授業に出てもこれじゃまずいと思いましたね。自分はそのとき23 歳だったので、講師のほうが年齢的に近いわけです。そうなると、先生と自分の差が気になってこれじゃヤバいぞと。なので自分に関係のない授業にも出て、早く形にしなきゃと焦っていました。経験値が圧倒的に少ないので、周りに声をかけまくってライブばかりやっていましたが、卒業が近づくにつれ不安が先立つんですよね。自分はまだうまくなっていないのに、このまま放り出されたらどうしようと。当時はサポートを含め2 つバンドを組んでいたので、バイトをしながらそれを続けて、卒業して1年くらい経ったときに、バンドの解散を機に東京に行きました。
●上京してからはどのような生活を?
何もない状態だったので、バンド探しとライブハウスの見学をしてとりあえず東京を知ろうとしました。暇さえあればライブハウスに行って、ブッキングのマネージャーと話をする。そして行く先々でメンバー募集の紙を貼り、バイトの時間以外は人と会ったりスタジオに入っていました。とにかくやらなきゃと、当時は2時間ぐらいしか寝ていなかったですね。
●その努力が報われ、2009 年にGALNERYUSに加入しましたね。
ドラムのJun-ichi さんに、“経験だと思ってやってみたら?”とオーディションに誘われたのがきっかけです。Jun-ichi さんは僕がMI JAPAN に通っていた頃の講師で、昔からよく相談に乗ってもらっていました。ただ、GALNERYUS はレベルが高かったのであれは聴くものだと思っていたんです。だから正式にメンバーとして迎えられたときは驚きましたよ。でもそこからが大変でしたね。GALNERYUS はリハを敢えて必要以上にやらないバンドなので、危機感を感じながらひたすら音源やメトロノームに合わせて個人練習をやりました。自分はガチガチになって縮こまる性格ではないので、切り替えができたのは良かったですが、最初のステージが終わった後はボロボロでしたね。そこからすぐ『RESURRECTION』のレコーディングに入りましたが、デモをもらったときにプロは準備段階から違うなと思いました。それまで自分が練習してきたことが、いかに甘いかということを痛感しましたね。ただ、自分は何かを犠牲にしてプロになったわけではなく、運良く自分のスタイルを受け入れてくれるバンドとファンに出会えた。そういう意味では運が良かったなと思います。
●GALNERYUSに入ったことで、ご自身のレベルは上がりましたか?
毎現場、自分の未熟さを痛感していますが、少しずつは上がっているんじゃないかと思います。意識も変わりましたし、オーディションのときには自信を持って弾けなかったものが、今は多少は自信を持って弾けるようになっていますからね。
●最後に、これから専門学校へ進学を考えている人たちにひと言お願いします。
学校は講師というプロがいて、ライバルと呼べる人に出会えるかもしれない場所なので、入って損はしないところです。自分ひとりでやっているより、いろいろなものに触れる機会が自然に舞い込んできますからね。ただ気をつけてほしいのが、同じ夢を追う仲間を見つけるだけで安心して、そこで遊んで終わってはいけないということ。うまくならないと誰も見向きをしてくれませんが、その努力さえ怠らなければ、学校へ通ったことはきっと武器になります。
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