ホーム > 特集・コラム > 人気プロデューサーいしわたり淳治が送る「音楽業界志望者へのエール」
いしわたり淳治 Special Interview
1997年~2005年にかけて活動し高い評価を受けたSUPERCARでギターと作詞を担当。解散後は作詞家/プロデューサーとしてさまざまなアーティストたちとタッグを組み、多くの優れた作品を生み出しているいしわたり淳治。そんな彼の足跡はある種独特でありながらも、バンドマンやシンガー、クリエイターを目指す人にとっていくつものヒントが詰まっている。理路整然と語られる言葉からそれを読み取ってほしい。
●高校2年のときにギターを始めたそうですね。
家が田舎すぎて近くに楽器屋さんがなかったので、最初のギターは通販で買ったんです。それに付いていた教則本を最後まで終えるころには、だいたいコードを押さえられるようになっていました。
●そして高校3年で組んだバンドが後にデビューするSUPERCARで、ソニーにデモ・テープを送ったらいきなり返事をもらえたという話は有名ですね。
まずライブ・ハウスが地元になかったし、どこか場所を借りてライブをやったとしても、ただ友達が来てくれるだけだと思ったので、今自分たちが作っている音楽がこれで正しいのかどうか、1 回送ってみようってことになったんです。誰か音楽に詳しい人がリアクションしてくれたらラッキーだよなって。それをソニーの人に気に入ってもらえて。
●そこからデビューまでに1年半ほどの“育成期間”があったそうですね。
リハーサル・スタジオの代金を援助してもらいながら、新しい曲ができたら送るということをやっていました。デビュー・アルバムから4枚目くらいまでは、そのストックの中から選曲していたと思います。
●ライブの経験は?
僕が一番最初にステージに上がって人前でギターを弾いたのは、ソニーの新人開発セクションのスタッフが50人くらい座って見ている前で5曲演奏したという、苦々しい思い出です(笑)。とにかく田舎に住んでいて、それまでライブというものをほとんど見たこともやったこともなかったので、ライブをするというのがこれで合っているのかどうかもわかないまま、ただ演奏して帰っただけでした。最後まで1 回も顔を上げることができなくて、リアル・シューゲイザーっていう感じで(笑)。
●そこからデビュー後の活躍ぶりは多くの人が知るところですが、そんな手探り状態だったライブも含めて、バンドの方向性みたいなものは自分たちで少しずつ考えていったのですか?
うちは完全に分業制で、曲を書く人、歌詞を書く人、ジャケットやPV などデザイン関係をやる人、あとはマスコット的な人、みたいな(笑)そういう感じだったので、お互いに何か言うことはほとんどなかったです。だから、解散後にプロデューサーとしていろんなバンドにかかわるようになって、みんなこんなにいろんなことを話し合って決めるんだなっていうのが、けっこう衝撃だったりしましたね。変わっているのは僕らの方なんですけど(笑)。
●SUPERCARの活動中から他のアーティストにも歌詞を提供していて、それが解散後の作詞家としての活動につながっていますね。もともとSUPERCARでも歌詞を書いていたわけですが、それとの違いは何かありますか?
さっきも言ったとおりバンド内が完全に分業制だったので、バンドで詞を書くのも作詞提供に近かったんです。その人が歌ったときにどう聴こえるかということをもともと考えながら作っていて、シンガーと作曲者が変わっただけ。それが解散後もなだらかなグラデーションで続いてきた感じです。
●他のアーティストから作詞を依頼されるときは、どのようにリクエストされるのですか?
ケース・バイ・ケースですけど、ドラマのタイアップ曲だったらドラマの制作側の意見もあるし、キャリアが長いアーティストならそれまでの流れの延長でっていうリクエストもあるし、それらが複雑に絡み合っている場合もあれば、新しいことをしたいっていう人もいる。ただ、それぞれにやりたいことがあっても、皆さんがオーダーのプロであるとは限らないので、言われた言葉の奥にあるオーダーの真意を察する力はとても大事かもしれません。言葉によるオーダーに対して言葉で返すというのは、関係性がすごく近いからこそ、言われた言葉にとらわれすぎると表現が制限されてしまったり、相手を混乱させてしまったりということが起きやすいんです。
●そこで依頼主の真意を正しく理解して形にするのも、醍醐味の1つだったりしますか?
何を書いても良いというのは、何を書いても良いのにこれを書いたんだ?という不自由と戦うということですから。何をやってもいいって言われた場合は、打ち合わせのときに“こういうのはどうですか?”って言ってしまいます。そこでリアクションを見ながらある種のコンセンサスをとれば、それがオーダーになるので、ちょっと自由度が出てくる。そういうやり方をしています。
●SUPERCAR解散後は、プロデューサーとしての仕事も活動の柱になっていますね。
解散ライブの数ヶ月前に、当時所属していたレコード会社の社長から、チャットモンチーというバンドがデビューするからプロデュースしてくれないかっていう話をいただいたんです。それで、断る理由は何もないので、やってみますと。
●チャットモンチーをプロデュースするにあたって、まずメンバーと一緒にディズニーランドに行ったそうですが、そうやって音楽以外の部分を共有しようと考えたのは何か狙いがあったのですか?
僕はプロデュースを依頼されたとき、なるべく本人たちに会う前に1 回ライブを観るんです。できればこっそりと。ステージの上では、みんな自分が見せたい自分を演じるわけです。つまり、その人のなりたい姿がステージに出てる。でも本当はどうなのかというのはステージの裏にあって、その両方を見てジャッジしていかないと、ステージで見せている以上の魅力を引き出せないと思うんです。やりたいことをわかった上で、その近道がステージ裏にあるかもしれないから、そこを共有しようよっていうこと。僕は、その人が持っているいびつな部分が個性だと思っているので、その中のどれが魅力的で、どれが不必要なものかっていうのは、けっこう厳密にジャッジします。でも仕事の関係だけでは、裏側を見ることって非常に難しい。だからみんなで遊びに行ったりするんです。
●制作現場ではどんなふうに振る舞いますか?
基本的にはみんながやりたいようにやって完成というのが一番いいと思っています。でも普通に演奏してもらって、たとえばイントロが少しゴチャゴチャして聴こえたとしたら、“俺はこう感じるけどそれでいいの?”って聞くんです。そこで“これはカオスな曲にしたい”って言われたら、それはできているからOKということになります。今度は別のところで、たとえばサビにインパクトが足りないと感じて、でもそこはサビっぽくしたいというのであれば、じゃあこういう方法があるよって教えてあげる。そんな感じですね。
●メンバーの一員のような感じでもある?
そう思ってもらえるのが一番うれしいです。何歳離れていようが、キャリアが何年違おうが、メンバーになりたいという気持ちでなるべく現場に行くようにしています。そこでもし僕が何もしなくても、何も直さなくても、“いいよ、それ”って言ったことで曲が華やぐ場合もある。そういうことに敏感でいたいですね。
●近年はワーズ・プロデュースという形で、歌詞のプロデュースも手がけていますね。
優れたシンガーが優れた作家でもあるというケースって、年々減っていると思うんです。昔の歌謡曲とかで、優れた作家さんが曲や詞を書いて、それを優れた演者が歌っていた時代に比べると、今は歌詞とメロディと歌が1 つの狙いに高いクオリティで合致していることって、そんなに多くないんじゃないかと。歌詞で言えば、多少つたない歌詞でもシンガー本人が書いたものをありがたがる時代が長く続いて、表現の質が全体的に下がってしまった気がするんです。
●そこで作詞を助けるのがワーズ・プロデュース?
言いたいことはなるべくその人のままで、技術だけをちょっと助けてあげる。こういう表現もできるよっていうのを助けるっていう感じですね。今の若い子たちって、言いたいことがある奴が歌詞を書くんだと思っているような気がするんですけど、言いたいことって意外とみんな似ていて、問題はそれをどう表現するかだと思うんです。言いたいことを言うとか、プライベートを切り売りするとか、そういうことだけじゃなくて、もう少し“作品を作る”という感覚がある方がいいのかなと思います。
●作詞に限らず、これから音楽の世界で何かを作ることを目指している人には参考になりそうな話です。
昔の自分を振り返ったり、普段若い子たちと接していると感じるんですけど、若いころに考える“自分らしさ”って、絶対に譲れないものだと思っていると思うんです。でも、どんなに譲っても出てしまうその人の匂いというのが本当の個性じゃないかなと思うんです。自分はこうなんだと決めつけて可能性を減らしていることもありますからね。そもそも若いうちに自分で自分の個性を正しく見抜くのは至難の業ですから。個性は部屋でひとりで考えて探すものじゃなく、周りの人といろいろやってみて初めて見えてくるものだと僕は思ったりします。
●そんないしわたりさんがこれから目指すものは?
僕は今日まで、目標というものを何も立てずに来たんですよ。ただその人と仕事したい、その人に満足してもらえたらそれでいい、どんなオーダーに対しても出来る限りのことをする。それを積み重ねてきただけなんです。無謀なオーダーをいただいたことで、それまで考えもしなかったことを考えて、自分のスキルが上がることもある。そういうことをいつまでも楽しんでいたいし、ワクワクしていたい。作詞家やプロデューサーという仕事も、別にそれを目指してきたわけじゃなくて、面白いと思えたから今も続いている。そんな感じですね。
写真=八島崇
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