ホーム > 特集・コラム > 友達から学ぶことは多かった。当時の仲間は今でも大きな財産。
e-ZUKA(GRANRODEO)インタビュー
■音楽学校へ行こうと思った理由は?
□僕の高校は地元では割と進学校で、周りはみんな大学へ進学していたんですけど……実は、僕は5番で入学したんですよ(笑)。それで安心してしまって勉強をせずにボォーッと高校時代を過ごしてしまった(笑)。今から勉強しても受験には間に合わない感じだったし、ギターは小学生の頃から好きだったし、友達から “お前はステージに立っているときが一番輝いている ”って言われたこともあって、音楽の道に進むという選択もあるかなと。それで兄が電気関係の専門学校へ行っていたので、音楽の専門学校もあるんじゃないかと思って調べてみたんですよ。ミューズ音楽院は当時、唯一の認可校だったので、それで決めました。
■学生の思い出は?
□ 30年近く前だから、情報もそれほどないわけですよ。特にウチは田舎だったのでね。きっと東京の音楽学校には全国からすごいヤツが集まってくるに違いないと思い込んでいたんです。実際、授業が始まったら “あれ? ”って(笑)。
■よく考えれば、ギターは好きだけどテクニック的には初心者という人が入学してきてもおかしくないですよね。
□そうなんだけど、自分はそれで “プロになれる ”って思ってしまった(笑)。でも友達から学ぶことは多かったですよ。友達同士でテクニックも盗みあったし。“今の奏法、どうやるの? ”“教えない! ”なんて言うから、こっそり録音して、それを家でコピーしてね(笑)。“そのカッティング、かっこいいね ”“これはラリー・カールトンがやっているんだ ”って教えてもらったり。友達の影響でいろいろな音楽が好きになりましたね。それと、当時はこのままじゃだめだっていう焦燥感が常にあって、課題にもついていけないから必死に練習していましたね。そんな学生時代でした。
■そういう中でバンド志向だったのが、次第にスタジオ・ミュージシャンにも興味が向いていったわけですね。
□そうですね。フュージョンの好きな友達の影響で興味を持ったんですよね。スタジオ・ミュージシャンになりたいと思うようになったのは卒業する頃だったかな。草野球の選手がヤンキースに入りたいとは思わないですよね。高校生の頃はそのくらいの感覚でした。ミューズ音楽院に入ったときには、ギターの先生か楽器店で働きたいと思っていましたからね。でも、学校に通っているうちに自分はプロになれるっていう自信がつきました。とはいえ、根拠もないし、プロになるために何をしていたわけでもなくて……卒業後はバイトして、仕事が終わったら家でギターを弾くという感じの生活をしていました。
でも、だんだん仕事が忙しくなってギターを弾く時間がなくなってきたんですよ。さらに仕事も楽しくなってきちゃって(笑)。これでいいのかなと思っていたときに、学校から電話がかかってきて矢島賢さんのアシスタントの話が来たんです。 21歳のときかな。アシスタントをやっているうちに、オーディションの話がきて、あがた森魚さんのバックをやったのが最初ですね。そこで一緒になったキーボードの方に “曲を書いてみたら? ”と言われて作曲するようになって、ビギナーズラックでコンペに通ったら作曲の仕事もくるようになって。仕事用のデモをちょっと凝って作ったら “アレンジもできるじゃない ”ってことで編曲の仕事も増えていった。 GRANRODEOもそんな仕事の中から生まれました。
人生、どうなるかわからないですよね。バンドでハードな音楽をやりたいという 18歳の頃に憧れていたことを、この年齢になって始めるなんてね(笑)。僕の場合は自分で計画を立ててやってきたわけではないんです。ただ流されてきただけなのでね。もちろんギターの練習……別に練習していると思ってやっているわけじゃないけど……はずっと続けているし、仕事は一生懸命に取り組んできた。そうやっていれば、見ている人はいるんですよ。
■学校へ行って良かったと思うことは?
□やっぱり仲間の存在が大きい。疑問に思ったことをすぐに教えてくれる先生や先輩、友達がいるというのは学校の良いところですよね。自分も今でも当時の同級生とつながりがあるし、大きな財産になっています。それと、勉強はどこでもできるんですよ。特に今はインターネットでレッスンの動画が山のように出てくる時代ですから。そんな中で音楽学校というのは、 24時間音楽のことだけを考えていられる環境で、そして自分が望んで前向きに取り組めば、最高のものが手に入るところだと思う。2年間はあっという間なんで、いろいろとチャレンジしてみてほしいですね。
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