ホーム > 特集・コラム > 積極的に頑張っていれば、そこからチャンスは生まれるんです
二家本亮介 インタビュー
■音楽学校へ行こうと思った理由は?
高校でバンドを組んでいて、卒業後はメンバーがみんな就職したんですが、僕だけバンド熱が冷めなくて。どうしようかと考えていたときに『ベース・マガジン』に付いていたこの小冊子を見て、音楽学校に興味を持つようになったんです。
■なぜメーザー・ハウスを選んだ?
僕は山口県出身で、あまり(音楽学校についての)情報がなかったんです。もちろんこの小冊子も読んで参考にしましたし、自分なりに調べていく中で、メーザーはプロとして活躍されている講師が多かったので良さそうだなと。僕はファンキーな音楽に興味があったので、江川ほーじんさんが講師をしているというのも理由のひとつでした。江川さんはとても厳しい先生でかなりしごかれましたが、おかげで“ もっと上手くなりたい” と気合いが入りましたね。
■どんな学生生活を送りましたか?
授業が終わったらすぐ家に帰っていました。今の自分に何が足りないかを考えて、毎日やるメニューを決めていたんです。最低6時間はやっていました。江川さんに“ 寝る間も惜しんで練習しろ” と言われたのを真に受けたんですよ(笑)。メーザー以外のところでも個人レッスンを受けていたんですが、そこも厳しかったですね。セッションが中心だったのですが、ウォーキング・ベースもまだろくにできないのに、いきなりセッションをやらされるんですよ(笑)。結局、自分のせいで演奏が崩壊してしまったり、恥をかくことが多くて悔しい思いをしましたね。それがきっかけで師匠や先輩の演奏を録音してコピーしまくりました。そんな練習漬けの毎日を過ごしていたら、メーザーのアンサンブル発表会でベスト・プレイヤー賞と最優秀バンド賞をいただいたんです(笑)。
■与えられたことをやるだけではなく、自分で足りない部分を補っていったからこそ上達が早かったんでしょうね。
そうかもしれないですね。誰しも恥はかきたくないですよね。今の僕が仕事で20歳のときと同じ失敗をすれば、リアルに次は呼ばれませんが、20歳のときだったら“ しょうがねえなぁ” で済む可能性が高いです。今、最前線で活躍されているプロの方々も、若い頃にさまざまな辛い悔しい経験をしているという話はよく聞きます。つまり若い頃にたくさん失敗した人こそ、その後、大成するんじゃないでしょうか。
■音楽の仕事を始めたきっかけは?
本格的に仕事をするようになったのは、メーザーの先輩ドラマーが音楽事務所に所属して、レコーディングで若手のベーシストを探していると声をかけてくれたのがきっかけです。21歳くらいだったかな。そこから少しずつ広がっていきました。だからメーザーでのつながりは大きいですね。もしメーザーに行っていなければ、そんな話はなかったでしょうから。
そういえば、22歳のときにリュ・シウォンさんの東京ドーム・ライブに抜擢されたんですが、バンマスを務めていたドラムの濱田尚哉さんにすごく怒られた経験があります。僕はテクニカルなプレイが好きだったのですが、ポップスの楽曲にそんなプレイは必要ないわけです。当時の僕は、周りの音を聴いているようで聴いていなかったから個人プレイになってしまい、リズムもあまいし音色もフレージングもトゥーマッチ。だからリハが僕のせいで中断しちゃうんですよ。スタジオ内には知らない大人たちがたくさんいて、そんな中ダメ出しされるのは本当に辛かったです。でも、濱田さんは僕をクビにせず辛抱強く何年も向き合ってくださいました。そこで僕はたくさんのことを学びました。
音楽学校で学ぶことも多いですが、卒業してからが勝負です。そのために学生時代にどれだけ自分を高めて準備していけるかが鍵です。チャンスっていきなり来るんですよ。でも怠けている人のところには来ないものじゃないかな。僕が誘ってもらえたのも、日々努力し続けた結果が何かしらの形で出ていたからなんじゃないでしょうか。それが先輩ドラマーの頭に残っていて、誰かいないかという話になったときに僕を思い出してくれたんでしょうね。
■無駄な努力はないということですね。
はい。学校の質もありますが、結局は自分次第なので、受け身にならず、積極的に動いてください。頑張っていれば誰かが必ず見ていてくれますし、そこからチャンスは生まれるんです。
© 2009-2019 Rittor Music, Inc., an Impress Group company. All rights reserved.